- 東洋医学の懐胎について
- 古代の生命観の中で妊娠は、古くは紀元前14世紀の古代インドの文献、「ウパニシャット」に人体の胚の記述があり、古代ギリシャでも紀元前5世紀にヒポクラテスは、発生学について述べられている。古代中国では、諸子百家の「管子」「淮南子」「文子」などに記載され、医書では馬王堆漢墓から出土された「胎産書」は、中国最古の出産の専門書といわれています。
日本では、医心方は平安時代982年頃に丹波康頼により撰した国内最古の医書になります。全30巻あり内容は、総論、針灸、内科、外科。方剤、婦人科、産科、小児科、養生法、房内、食養法からなります。
特に産科では、妊娠各月における母胎や胎児の解説されている。
- 「医心方」より
- ※ 以下の説明は、形体は産経から引用・経脈は本文から
懐胎一ヶ月 |
懐胎二ヶ月 |
妊娠一ヶ月は胚または胞といい・足の厥陰脈を養う |
二ヶ月は胎・足の少陽脈を養う |
懐胎三ヶ月 |
懐胎四ヶ月 |
三ヶ月は血脈・手の心主の脈を養う |
四ヶ月は具骨といい骨ができ・手の少陽脈を養う |
懐胎五ヶ月 |
懐胎六ヶ月 |
五ヵ月は動といい胎動がはじまり・足の大陰脈養う |
六ヵ月は、形成といい形ができ・足の陽明脈を養う |
懐胎七ヶ月 |
懐胎八ヶ月 |
七ヵ月は毛髪を生じ・手の大陰脈を養う |
八ヵ月は瞳子が明るくなり・手の陽明脈を養う |
懐胎九ヶ月 |
懐胎十ヶ月 |
九ヵ月は穀物に胃に入り・足の少陰脈を養う |
十ヶ月は児の出生する月になり・足の太陽脈を養う |
- 懐胎十ヶ月の形体と経絡の表
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医心方の内容をまとめますと、1月から胚または、胞となり、2ヶ月では胎となり、3ヶ月では血脈、骨ができます。現代医学では、9週から器官、臓腑は成長し、性別は12週までにあきらかになります。5ヶ月目の動は、胎動を感じるのは、18週前後とこの時期とだいたい一致しています。6ヶ月から形成、7ヶ月目の毛髪は、8ヶ月目の瞳子が明るくなるについては、この頃には、髪の毛も生えてきて瞳孔反射も30週までにはみられる。9ヶ月の胃に穀物がはいりとは、この頃、胎児の体形はふっくらとしてきて、頭と胸の周径は同じくらいになる。10ヵ月目、40週に出産する。下の段は、各月ごとに、養われる経絡があり、1月から足の厥陰肝経からはじまり、特に肝は、春の芽吹きの季節ですから1ヶ月目にはふさわしいと考えます。そして、胆経、心包、三焦、脾、胃、肺、大腸、腎、膀胱とこの順番は五行の相生関係にあたります。
- 医心方にいたる関連図
上記の図は懐胎十ヶ月観の形成と医心方に影響を与えた文献の相関図になります。
縦軸が時代で、上が中国で下は日本になります。左側が医書で右側が諸子百家などの思想書になります。管子は春秋戦国時代の書で、淮南子は前漢、文子は、唐の時代に書かれたといわれ、それぞれの時代の医書にも相互に影響をあたえたと考えています。
東洋医学の基礎となる書の黄帝内経は前漢にはすでに成立されていたといわれ、この胎産書は、紀元前200年ごろに馬王堆漢墓から出土され、産経などに影響をあたえたといわれています。
産経は、すでに散いつした書で、400年前後に徳貞常によりかかれ、医心方に引用されています。
脈経は、王叔和の著で200年ころ、妊娠時に養われる経絡の記載があり、後の文献にも影響を与えたと思われます。
この除之才は、500年ころの北斉の医家で、妊娠時の養生法などが書かれたといわれ、備急千金要方に紹介されています。
600年ころに諸病原候論は巣元方の書で、疾病の分類について詳しく書かれた書です。
備急千金要方は、遜思ばくの書で、婦女や小児についてよくかかれた医書です。
以上のこれらの書は、医心方に影響を与え形成されたと思われます。
- 参考文献
- 「医心方・鍼灸編」桜雲会編纂 昭和52年 出版科学総合研究所 東京
「医心方の伝来」杉立義一著 1991年 思文閣出版 京都
「道教と胎の思想」 加藤千恵著 2002年 大修館書店 東京
「道教と不老長寿の医学」 吉元昭治著 1989年 平河出版 東京
「受精卵からヒトになるまで」瀬口春道著 2003年 医歯薬出版 東京